寅さんの回想記

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●成田山新勝寺の歴史(3)

  • 明治維新以降、新勝寺はお札を通じて、民衆の戦争に深く関わった。当寺の「身代わり札」は「鉄砲玉から身を守る札」として日清戦争当時から軍人らに深く信仰されていた。満州事変から1945年の敗戦に至るまで、「成田市史年表」から拾い出すだけでも、33年から41年までの間に、歩兵第57連隊の兵士や近衛兵たちが10回以上も参拝し武運長久を祈願、お札を身につけている。 18代住職荒木照定は1928年に新更会を設立、「成田町報」などを通じて地域の民衆に対する「皇国伝統の健全なる思想」の教化に積極的に努めた。1938年には陸海軍に「新勝号」「成田山号」と名づけた戦闘機を献納、また真珠湾攻撃の翌日にはそれぞれに10万円を献納するなど新勝寺は積極的に戦争推進に加担し、同時にそれを布教活動に利用していた。